先ごろ、Youtubeにおいて若手演歌歌手の山内惠介さんが2025年の紅白に選出されなかった事に対して舟木一夫さんが感想至意見を述べておられるという動画を拝見しました。
残念ながら舟木さんはこのような発言は致しません。
たとえ動画が言うように山内さんに共感を覚えていたとしてもです。
これは60年間のファンとしてその歩みを追い続け、その人なり、そして歌に対する独特の姿勢、それらを受け止め感じてきた者として断言できます
そうだわよ~
繰り返しますが、彼が何故、この種の発言を控えて来たか、それは彼自らのポリシーで有るというよりも、彼特有の幾分、斜に構えて世の流れを見つめる姿勢、そして自分は芸人の端くれだという自負、だからこそ、その分際を弁えなけりゃならねえという、「銭形平次」のテーマでもある、一種の男の意気地あるいは心意気のようなものから来るのだと思っています。

確かに当時絶頂の時期に有った頃、根拠の無い捏造記事を書きたてた出版社に若い舟木さんが直接出向いて抗議したという事は有りました。
この出来事は普段は穏やかなイメージの舟木さんが、自身の信念や名誉を守るために見せた勇気ある行動だったのですが、これを最期に彼はその生きる世界に対する発言や意見を述べることは少なくとも私の知る限りありません。
山内惠介さんはこの私も注目しておりますし、才能溢れる正統派の歌手の方だと思っています。
しかしそうだとしても、舟木さんが動画のような発言をしたと配信するのであれば、俄かに雲行きが怪しくなるのです。
つまりあきらかに事実でないものを恰も事実の如く標榜し、再生回数が爆揚るようなSNSに乗せるとなれば、これは舟木さん個人の尊厳を冒涜する行為以外の何物でも有りません。
ええ。あっしもそう思いやす。
確かに山内さんファンは快いかも知れないし、舟木さんファンの中にも賛同している方もおられます。
しかしデマはデマです。
これを信じ、喜び、これが拡散されるということに問題が有る訳で(すでに拡散しているでしょう、コメントの中には泣く程感動したという方もおられます)こうなると舟木さんの歌手人生の一つの出来事として、かのウィキペディアに書かれる人もいるかもしれません。
ウィキペディアというのは誰もが自由に書き足していけるサイトですが、同時にそこに掲載されるデータは全世界の物書きや研究者にに利用されているサイトでもあります。
したがって著名人への不確かな情報は、確実に当事者の人生さえ狂わしかねない危険性をはらんでいるのです。
そしてこれ以外にもあらゆるメディア媒体にしっかりとその痕跡を残しかねないとなれば、情報を発信する側は発信する情報に対して確信がなければ配信してはならないのです。
うそ、いってませんて。わん
この事を更に納得していただく為に、舟木さんが国家から受章あるいは受賞した経歴をご紹介します。
これらは、長年にわたる歌手・俳優としての活動と、日本の芸能界への多大な貢献が認められた公式な受賞です。
舟木さんは、国からの栄典として紫綬褒章と旭日小綬章を受章しています。
紫綬褒章: 2002年(平成14年)に受章しました。芸術文化の分野における功績が評価されたものです。
旭日小綬章: 2018年(平成30年)秋の叙勲で受章しました。芸能分野での長年の功績が高く評価されたものです。
たしかに 朕は 与えたぞ
ここで皆さんにお尋ねしたいと思います。
有る問題にたいする発言において、社会的地位も名誉も有る方と失礼ながら市井に生きるごくごく普通な一般人の、どちらの発言に貴方は耳を傾けようとなさいますか?
わたしは、地位も名誉もなんら価値あるものと思っていない。むしろ市井に住む無名の方の素朴で生の意見に耳を傾ける。
そういう方もおられます。しかしこれは100人いてもほんの数人、ほとんどは名誉も地位も有る方の方に関心を寄せるのではないでしょうか?
つまりこれが現実です。
ましてや、国家から表彰、受章、それも2つもされている方です。
ご自身の発言の影響力がどういうもので有るかという事をご存じないわけがありません。
常識だよ~ 知らないと非常識だよ~
たとえばです。有りえないことですが、陛下がもし仮にです。余はあの歌手を好きである。スマホにも入れて毎日楽しんでおる。皇后も最近云々。などとご発言されて御覧なさい。
もうその歌手は連日連夜、取材攻勢に遭い、仕事どころか、睡眠すらままならない日が連日続き、営業成績はガタ落ち、一年も続けば遂にはホームレスとなり彷徨う事にもなりかねません。
大御所なら蓄えも有るでしょうが、若い歌手なら起こりかねません。
実際、都内のあるスナックの厨房でかつてヒットを飛ばした歌手が皿洗いをしていたという情報は、吐いて捨てるほど有るのです。
これ ネコ式 皿洗い
このように立場も名誉も有る方の発言の影響力は対象の方の人生をも左右しかねない重大な行為なのです。
この観点からも、知識も常識もすべて弁えた舟木一夫氏が、山内惠介くんに対する個人的な評価等の発言をするなど、その負の恐ろしさを知り尽くしている舟木さんがすることなど天地がひっくり返っても有りえない事です。
有りえません!!
(腹 減ってたんだ 石破く~ん)
【 あの~ 見たくないんですけど。これ 削除おねがい します~】
話を元にもどしますが、舟木さんは、今や単に個人という枠を超えた存在であり、偉大なる日本の歌手としてその尊厳を守られねならない立場で有ります。
したがって根拠の無いデマ情報が拡散された場合、彼に続く人々を守る意味においても、法的措置を取らなければならないと固く信じます。
たとえ先の動画のアカウント主がこの動画を削除しても、流したという事実に対する責任は問わなければなりません。
遅きに失したとして舟木さんに謝罪をしても取返しのつかない事をした事実には、しっかりと責任をとって頂かなければなりません。

この辺で彼の歌に戻りたいと思いますが、彼は自分の歌は「流行歌」ですと云い、「演歌」とは何となく云って欲しくないという事のようです。
どうやら彼の言う「流行歌」とはこれはあくまでもわたしのイメージですが、戦前戦後から庶民に歌われてきた童謡ともつかない「大人の愛唱歌」ともいうべきもので有って、男女の別れ、涙、愚痴、恋しさ、恨み、生き様、人情、悲しみ等々の、つまりは特定の場面、情景が有って感動を呼び覚ますような「演歌あるいは艶歌」とは違いますよとおっしゃりたいのでは?と思います。
つまり彼は、いつの時代でも、同じ世代に生きた人々に対し、共通な感動を呼び覚ます歌、そういう歌、つまりは「流行歌」ですね。
これを叶う事なら歌ってきたかったし歌ってきたのだと、半ば自負を込めておっしゃられたと思うのです。
それは図らずも、歌手として再活動を始めた頃に、奇しくも彼自ら発言した言葉からも伺えます。
「これからは「同じ世代に向かってだけ歌っていきたい」
これが、あの口の堅い舟木さんが、初めて自身の歌に対する姿勢を吐露した、ご発言でした。
この事は、かの徳光アナウンサーとの談話インタビュー、あるいは「徹子の部屋」において度々発言されており、同世代のファンはこの時、喜びで歓声を揚げたのであります。
これら動画は、小生のDVDにも残っており、昨夜もこのページを書く前に確認をしました。この発言はファンならば知らぬ者はおらず、「これ知らずして舟木を語る勿れ」がファン常識なのであります。
こら 俺は「流行歌」なんだヨ~~~ わかってる?
🎵折も折、時代の変化は急速に進み(進んだのか後退したのかはさて置き)お隣の、今も猛威を振るう、Kポップとか何とかのインフルエンザ軽薄歌が国策の元、この国において猛威を振るい、演歌歌手にとっての主要歌番組は激減、かの公共放送の年末・国民的番組「紅白歌合戦」もニンニク臭い彼等彼女等に半乗っ取られ状態。
更に誰もが可笑しいと、その出演が噂される歌手あるいは全くヒット曲の無かった歌手が名を連ねる事が常態化した時、ある所属する会社のアルバイト女性がN何とかの上層役員とハニトラした結果、出演が可能になったと噂が流れ、それが長い間続いていたという大問題を、さすがのオールドメディも隠し切れずSNSで晒しものになる始末。
そして追い打ちを賭けるように、今回SNSで白日の下に晒された驚くべき事実。かの出場が決まった韓国女性グループの原爆帽子騒動。このグループの出場を差し止めんとする国民の怒りの声や10万人署名もN●Kの幹部・上層部は握りつぶそうとしております。もう芸能界そのものが腐敗堕落の極みとしか言いようのない有様です。
おわりました
ですから舟木さんのご発言が、すでにこのような時代と芸能界、歌謡界の行きつく様を見越してのものだったとすれば、やはりこの方は「ただものではなかった」「いろいろな人生の苦難を乗り越えられ、お造りになっている曲の歌詞などからも推し量って、未だ輝いているその訳は歌手という枠を乗り越えて、「高い能力を併せ持つ知識人でも有った」と、ファンは益々の尊敬を深めたので有ります。
舟木さんという方はどの世界でも一流になられた方、企業を起こせば日本有数の会社の代表取締役、まったく異質の学究の徒となられても、おそらくは日本文化、あるいは教育史に名を連ねた方だったと思います。
非常に高い知性を持ち、深い洞察力と高い見識は、コンサートでのお話からも十分伺えます。
本当に素晴らしい方、もっともっと長生きをして、今後は出来れば執筆をされて行かれたら、ファンとしてこれ以上の幸せはありません。
率直に申し上げて、舟木さんは詰まるところ、自分たちの党の延命の為、彼等がどこぞの国々への売国政策を急速化させる現状、そして歌謡界の惨状を見て、もうこの流れには抗えないという歌そのものへの危機を感じ取り、私達の為にこれだけは残していきたい、その中に流れる日本人の素朴な心のようなもの、それを伝え残す為に歌い続ける、そしてそれを受け止めてくれるのは同じ世代の人々であるからこそ、彼等に向かって歌っていこうと思い決心された。
このご発言「同世代に向かって]の言葉の裏には、そのような日本の憂うべき現状への静かなる批判、否、激情にも似た批判が実は込められていたのかもしれない、そしてだからこそ、せめて同世代に対してだけは、この歌を歌い続けることによって、人生を共感して参りたい、その姿勢だけは譲れないという思いと気概がが込められていたのだと思います。
え、カッコ しおって
我々団塊世代は大集団の世代です。
確かに人口グラフを見ると各年代において我々世代だけ異常に膨れ上がっています。
これが国家の予算を食いつぶす元凶かのごとく喧伝され、余計者、年金泥棒、厄介もの、いいもの食ってる、貧しい若者を更に貧しくする元凶などと、ののしられ、それこそあらゆる批判を受け後ろめたさを感じさせられながら生きてきました。
当時、わたしは思いました。私たちは欧州において、その国の経済を立て直す為に移民し働き抜いた彼等が今度は国の経済を悪化させる存在になったから帰国を半強制されている、我々団塊世代も鈍行に揺られ上京あるいは各地に分散し、懸命に働き抜いてやっと今が有るというのに、今や国家にとって厄介者的な大集団。
所詮、団塊世代とは日本国にとっての移民以下の存在、つまりは外国人なんではないのかとさえ思った事すらありました。
これらの喧伝はデマであり、オールドメディアの画策であることはわかっていても、連日そのような記事や報道に晒されて最悪の日常だったことは忘れることはできません。

しかしそのような時に、私には舟木さんがいたのです。
ある日、一本のカセットを再生させたとき、それは訪れました。
忘れていたあの日、あの頃が瞬時に、まさに次から次へと蘇ってきました。
父に反抗した申し訳ない日々も懐かしかったです。
そして思いました。自分には忘れ欠けていた膨大な自分史のようなものが有るじゃないか。だから自信を持つべきなんだ。誰に批判されたっていい。俺はこれだけの半生を積み重ねてきたじゃないかって。そう思いました。何よりも、舟木一夫さまがご体現されてきたではないか!
自分が自分を感じ、自分として生きてきた大いなる自信のようなものを感じて生きる。
これは何人も脅かす事ができない自分自身の「聖域」。
親兄弟、肉親、友人、その人々でさえ踏み込むことが出来ない聖域。
そしてこの聖域への扉を開いてくれたのが、舟木一夫という人でした。
舟木一夫が歌い続ける限り、いや例え、彼をいつの日か神が召そうとも、私は人生の最期まで、心の幸せに恵まれて生きてこれました!
その彼、舟木一夫に感謝の念を捧げたかったのです。長々とお読みいただきありがとうございました。🎵