西郷輝彦①

西郷輝彦(さいごう てるひこ)は、歌手・俳優として活躍し、橋幸夫、舟木一夫とともに昭和歌謡界の「御三家」の一人として知られています

本名は今川盛揮(いまがわ せいき)です。

主な経歴と人物像は以下の通りです。

デビューと「御三家」時代: 鹿児島県出身。1964年、17歳の時に「君だけを」で歌手デビューしました。
甘いマスクと歌声で「太陽の王子」と呼ばれ、「十七才のこの胸に」「星娘」「星のフラメンコ」など青春歌謡のヒット曲を次々と発表しました。
NHK紅白歌合戦には10年連続で出場するなど、絶大な人気を博しました。
俳優としての活躍: 1970年代以降は俳優業にも本格的に進出し、地位を確立しました。
主演ドラマ「どてらい男(ヤツ)」(関西テレビ・フジテレビ系)が大ヒットしたほか、「江戸を斬る」シリーズの遠山金四郎役や、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」など、数多くの時代劇や現代劇に出演しました。

闘病と死去: 2020年にステージ4の前立腺がんであることを公表し、闘病を続けました。
2022年2月20日、東京都内の病院で死去しました。享年75歳。
その他: 芸名は維新の三傑の一人である西郷隆盛にちなんで名付けられました。
また、「我修院建吾」などのペンネームで作曲活動も行っていました。



西郷さんといえば!星のフラメンコ
西郷輝彦の主な受賞歴は以下の通りです。

第6回日本レコード大賞 新人賞 (1964年) デビュー曲「君だけを」や「十七才のこの胸に」などのヒットにより、都はるみとともに受賞しました。

日本レコード大賞 特別功労賞 (没後) 長年の功績が称えられ、2022年に特別功労賞を受賞しました。
歌手としてのデビュー当時からその才能は高く評価され、日本の音楽業界において重要な賞を受賞しています。

西郷輝彦と舟木一夫は、橋幸夫を含めた「御三家」として昭和歌謡界を共にけん引した盟友であり、長年にわたる深い親交がありました。

二人の関係性やエピソードは以下の通りです。

若き日の「ライバル」関係 デビュー当時は、お互いに「負けるもんか」と思いながら切磋琢磨する**「ケンカ友達」**のような関係性だったと、舟木一夫自身が語っています。
非常に多忙だった「御三家」時代は、ライバル意識もあり、ステージ以外でゆっくり話す機会はほとんどなかったそうです。

長年の時を経て深まった友情 50代、60代になってからは、互いの連絡先を知り、食事をしながら2時間ほど語り合うなど、親交を深めていきました。
この時、若い頃の「誤解していた部分」や「お互い様だった」と思えるような話をして、笑い合ったと振り返っています。

舟木は、西郷との間に「俺たちにしか分からない」ステージに立つ人間同士の思いがあったと語っています。

西郷輝彦の死に際して 2022年に西郷輝彦が亡くなった際、舟木一夫は非常に大きなショックを受け、当初はコメントを出せないほどでした。
無念さ: 西郷が目標としていたデビュー55周年記念コンサートが、コロナ禍の影響もあり実現できなかったことを、舟木は「無念だった」と語り、涙を見せています。

偲ぶ会: 西郷の一周忌にあたる2023年2月に行われた「西郷輝彦さんを偲ぶ会」では、舟木一夫が発起人の一人となり、改めて故人への思いを語りました。

現在の思い: 舟木は現在も、ステージに立つたびに西郷輝彦のことを思い出し、「輝さんをステージに立たせたい」という思いや、自分が彼の分まで頑張ろうという気持ちになると明かしています。

舟木一夫にとって西郷輝彦は、単なる同業者ではなく、自身の「履歴書の中の1行」が抜けてしまったように感じるほど、かけがえのない盟友だったことがうかがえます。