西郷輝彦③

西郷輝彦さんの好物については、メディアや関係者の発言からいくつか知られていました。
焼酎(芋焼酎): 鹿児島県出身ということもあり、非常な焼酎好きとして知られていました。
特に地元の芋焼酎を愛飲しており、晩年も治療の合間に嗜むことがあったそうです。
家庭料理: 闘病生活に入ってからは、2人目の妻が作る栄養バランスの取れた手料理を好んで食べていたことが伝えられています。
また、趣味として料理も得意としており、特にパスタ料理をよく作っていたというエピソードもあります。

西郷輝彦さんの趣味として知られていた主なものは以下の通りです。
ゴルフ: 若い頃から親しんでいたスポーツで、俳優仲間や業界関係者とのゴルフを楽しみにしていました。
料理: 自身でも包丁を握ることが多く、特にパスタ料理が得意だったというエピソードがあります。
作詞・作曲: 歌手・俳優として活躍するかたわら、「我修院建吾」などのペンネームを用いて、他の歌手への楽曲提供や自身のアルバムへの楽曲収録など、創作活動も行っていました。

陶芸: 一時期、趣味として陶芸に凝っていたこともあったようです。
西郷輝彦さんの陶芸の腕前については、プロ級というよりは「多趣味な著名人」として楽しんでいた範囲であったようです。
具体的なエピソードや評価は以下の通りです。

趣味としての取り組み: 俳優や歌手の多忙なスケジュールの合間を縫って、リフレッシュや自己表現の一環として陶芸に取り組んでいました。
作品展への出品: 趣味の域を超えて、自身の作品を百貨店などで開催される芸能人チャリティー作品展や、個人の作品展に出品したこともあります。
作風: 素朴で温かみのある作風の器や花瓶などを制作していたようです。
非常に多趣味でクリエイティブな方だったため、陶芸もその才能の一端として真剣に取り組んでいましたが、本業である芸能活動ほど広く知られた「腕前」というわけではありません。

西郷輝彦さんは、歌手として歌唱に専念することが多かったですが、趣味や作曲活動を通じて楽器にも親しんでいました。
ギター: 彼の代表曲である「星のフラメンコ」のイメージや、当時の青春歌謡の背景もあり、ギターのイメージを持つファンも多いですが、西郷さん自身がステージで積極的にギターを演奏していたというよりは、楽曲提供の際にギターやピアノなどを用いて作曲活動をしていたと考えられます。
作曲活動: 彼は「我修院建吾」というペンネームで作曲活動も行っており、その際には楽器(ピアノやギターなど)を用いてメロディを紡ぎ出していたとされています。

総じて、彼はプロの歌手・俳優としての活動がメインでしたが、音楽への深い造詣と創作意欲から、楽器演奏も趣味の一つとしていたと言えます。
鹿児島県は、西郷輝彦さん以外にも多才な歌手やアーティストを数多く輩出しています。
著名な鹿児島県出身の歌手・アーティストは以下

長渕剛(ながぶち つよし): 鹿児島市出身。
日本のフォーク・ロック界を代表するシンガーソングライターで、「乾杯」「とんぼ」など多くのヒット曲があります。
中島美嘉(なかしま みか): 日置市出身。独特の歌声と世界観で知られ、「雪の華」「STARS」などのヒット曲で知られる人気歌手・女優です。
中 孝介(あたり こうすけ): 奄美大島(奄美市)出身。島唄をルーツに持つ独特の歌唱法が特徴で、「花」などのヒット曲があります。
城南海(きずき みなみ): 奄美大島出身。中孝介と同様に奄美島唄の歌い手で、テレビのカラオケ番組でもその歌唱力が高い評価を得ています。
上白石萌音(かみしらいし もね)・上白石萌歌(かみしらいし もか)姉妹: ともに鹿児島市出身。女優業と並行して歌手としても活動しており、高い歌唱力を持っています。
辛島美登里(からしま みどり): 鹿児島市出身。「Silent Eve」をはじめとする叙情的な楽曲で知られるシンガーソングライターです。
Rikki(りっき): 奄美大島出身。「ファイナルファンタジーX」の主題歌「素敵だね」の歌唱などで知られています。

GO!GO!7188: 鹿児島で結成されたロックバンドで、地元出身のメンバーが中心となっていました。 宮脇咲良(みやわき さくら): 鹿児島市出身。元HKT48、IZ*ONEのメンバーで、現在は韓国の女性アイドルグループLE SSERAFIM(ル セラフィム)のメンバーとして世界的に活躍しています。

これらのアーティストたちは、歌謡曲からJ-POP、演歌まで、日本の音楽シーンの多様な分野で活躍し、地元の誇りとなっています。

西郷輝彦②

西郷輝彦の主なヒット曲(代表曲)には、以下のものがあります。

「君だけを」 (1964年)
デビュー曲であり、いきなり大ヒットを記録し、一躍トップスターに押し上げました。

「十七才のこの胸に」 (1964年)
青春歌謡路線の人気を確立した楽曲です。

「星のフラメンコ」 (1966年)
西郷輝彦の最大のヒット曲の一つとされ、彼の代表曲として最も有名です。

「星娘」
「涙をありがとう」
「初恋によろしく」
「ねがい」


これらの楽曲は、昭和歌謡を代表する青春歌謡として今でも親しまれており、音楽配信サービス(Apple MusicやSpotifyなど)や、カラオケサービス(JOYSOUNDなど)で聴くことができます。

西郷輝彦①

西郷輝彦(さいごう てるひこ)は、歌手・俳優として活躍し、橋幸夫、舟木一夫とともに昭和歌謡界の「御三家」の一人として知られています

本名は今川盛揮(いまがわ せいき)です。

主な経歴と人物像は以下の通りです。

デビューと「御三家」時代: 鹿児島県出身。1964年、17歳の時に「君だけを」で歌手デビューしました。
甘いマスクと歌声で「太陽の王子」と呼ばれ、「十七才のこの胸に」「星娘」「星のフラメンコ」など青春歌謡のヒット曲を次々と発表しました。
NHK紅白歌合戦には10年連続で出場するなど、絶大な人気を博しました。
俳優としての活躍: 1970年代以降は俳優業にも本格的に進出し、地位を確立しました。
主演ドラマ「どてらい男(ヤツ)」(関西テレビ・フジテレビ系)が大ヒットしたほか、「江戸を斬る」シリーズの遠山金四郎役や、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」など、数多くの時代劇や現代劇に出演しました。

闘病と死去: 2020年にステージ4の前立腺がんであることを公表し、闘病を続けました。
2022年2月20日、東京都内の病院で死去しました。享年75歳。
その他: 芸名は維新の三傑の一人である西郷隆盛にちなんで名付けられました。
また、「我修院建吾」などのペンネームで作曲活動も行っていました。



西郷さんといえば!星のフラメンコ
西郷輝彦の主な受賞歴は以下の通りです。

第6回日本レコード大賞 新人賞 (1964年) デビュー曲「君だけを」や「十七才のこの胸に」などのヒットにより、都はるみとともに受賞しました。

日本レコード大賞 特別功労賞 (没後) 長年の功績が称えられ、2022年に特別功労賞を受賞しました。
歌手としてのデビュー当時からその才能は高く評価され、日本の音楽業界において重要な賞を受賞しています。

西郷輝彦と舟木一夫は、橋幸夫を含めた「御三家」として昭和歌謡界を共にけん引した盟友であり、長年にわたる深い親交がありました。

二人の関係性やエピソードは以下の通りです。

若き日の「ライバル」関係 デビュー当時は、お互いに「負けるもんか」と思いながら切磋琢磨する**「ケンカ友達」**のような関係性だったと、舟木一夫自身が語っています。
非常に多忙だった「御三家」時代は、ライバル意識もあり、ステージ以外でゆっくり話す機会はほとんどなかったそうです。

長年の時を経て深まった友情 50代、60代になってからは、互いの連絡先を知り、食事をしながら2時間ほど語り合うなど、親交を深めていきました。
この時、若い頃の「誤解していた部分」や「お互い様だった」と思えるような話をして、笑い合ったと振り返っています。

舟木は、西郷との間に「俺たちにしか分からない」ステージに立つ人間同士の思いがあったと語っています。

西郷輝彦の死に際して 2022年に西郷輝彦が亡くなった際、舟木一夫は非常に大きなショックを受け、当初はコメントを出せないほどでした。
無念さ: 西郷が目標としていたデビュー55周年記念コンサートが、コロナ禍の影響もあり実現できなかったことを、舟木は「無念だった」と語り、涙を見せています。

偲ぶ会: 西郷の一周忌にあたる2023年2月に行われた「西郷輝彦さんを偲ぶ会」では、舟木一夫が発起人の一人となり、改めて故人への思いを語りました。

現在の思い: 舟木は現在も、ステージに立つたびに西郷輝彦のことを思い出し、「輝さんをステージに立たせたい」という思いや、自分が彼の分まで頑張ろうという気持ちになると明かしています。

舟木一夫にとって西郷輝彦は、単なる同業者ではなく、自身の「履歴書の中の1行」が抜けてしまったように感じるほど、かけがえのない盟友だったことがうかがえます。