音の風景①

この「音の風景の音声データ」は、番組が1985年4月1日に放送を開始した当初から、カセットテープに録音保管していたものをmp3に変換したものです。
数えきれない程のデータです。 しみじみと当時を思い起して戴ければ幸いです。
この当時はNHKも現在のような偏向報道をしない真に国民に寄り添った番組を制作しておりました。
本当の意味で有能なスタッフが揃っていました。
懐かしいです。現状を見るにつけ。

何せ、数十年後にSNSが到来し、誰もが自由にWEBを活用できる時代が訪れようとは思いもしませんでした。従ってたファイルも気分で保存しており、中には当時お気に入りのMusicその他が紛れている事もございます。また、稀にファイル自体が破損していたり、再生スタートが遅かったりする事も有ったりもします。ご不快な点も多々有ろうかと思いますが、どうぞ素人がほんの趣味で収集したファイルだということをご理解いただいてお楽しみ頂ければ幸いです。


  • NHKの「音の風景」とは、
    日本各地の自然や人々の暮らしの中から聞こえる音を5分間のラジオ番組として届ける紀行番組で、1985年から続く長寿番組です。
    単なる音の記録ではなく、カナダの作曲家R・マリー・シェーファーが提唱した「サウンドスケープ(音風景)」の概念に基づき、その土地ならではの「音」を通して、時代や社会の姿、人々の営みを描き出し、リスナーに音による旅体験を提供するのが特徴です。
  • 番組の主な特徴
    • 街の喧騒、祭りの音、自然の音など、その土地にしかない「音」を丁寧に集め、まるでその場にいるかのような臨場感を味わえます。
      サウンドスケープ: 音環境全体を「音の風景」として捉え、人々の暮らしや文化と音の関係性を探求します。
  • 時代を映す鏡
    • 機械音や電子音など、現代社会の音も取り入れ、社会の変化を音から感じ取ることができます。
  • リスナー参加型
    • 番組公式サイトでは、聴きたい音のリクエストも受け付けており、リスナーと共に「音の風景」を作り上げています。
  • 放送形式
    • NHKラジオ第1、ラジオ第2、NHK-FMで放送され、5分間という短い時間で凝縮された音の世界が展開されます。
      「音の風景」は、視覚に頼らず「聴く」ことで新しい発見や感動を呼ぶ、NHKならではのユニークな番組と言えます。

橋幸夫②

橋幸夫さんの主な受賞歴は、日本の音楽界で最も権威ある賞の一つである日本レコード大賞を中心に輝かしいものです。
受賞歴の詳細は以下の通りです。

日本レコード大賞
第2回 日本レコード大賞 新人賞 (1960年) 受賞曲: 「潮来笠」
第4回 日本レコード大賞 大賞 (1962年) 受賞曲: 「いつでも夢を」(吉永小百合とのデュエット)
第8回 日本レコード大賞 大賞 (1966年) 受賞曲: 「霧氷」 特別功労賞 (時期不明) 橋さんは、日本レコード大賞において史上初となる2度の大賞受賞という歴史的な快挙を達成しています。

日本有線大賞
郵政大臣賞 (1972年) 受賞曲: 「子連れ狼」
有線特別賞 (1983年) 受賞曲: 「今夜は離さない」

その他の栄誉 名誉学士号 (2025年) 京都芸術大学より名誉学士の称号が授与されました。
これらの受賞歴は、橋幸夫さんが昭和歌謡界における「御三家」の一人として、また日本の歌謡史に名を刻む偉大な歌手であったことを示しています。

遠藤実(えんどう みのる)さんは、橋幸夫さんにとって音楽の師匠であり、歌手としての道を拓いた非常に重要な人物です。
具体的な関係性は以下の通りです。

橋幸夫さんは、まだ学生だった頃(中学2年生時)、作曲家である遠藤実さんに弟子入りしました。
遠藤実さんは、日本の演歌・歌謡界における「国民的作曲家」の一人であり、橋幸夫さん以外にも多数のスター歌手を育て、多くのヒット曲を生み出しました。

遠藤さんは橋さんの才能を見抜き、彼の母親に対して「この子の人生には歌しかない」と説得し、歌手になることを強く勧めた人物です。
遠藤さんの指導のもとで歌を学び続けたことが、後に橋さんがビクターエンタテインメントのオーディションに合格する礎となりました。

デビューこそ吉田正さんの門下となりましたが、橋さんは生涯を通じて遠藤さんを恩師として深く尊敬していました。
2008年に遠藤さんが亡くなった際には、橋さんは葬儀に参列し、別れを惜しんでいます。

橋幸夫①

橋幸夫さんは、1960年のデビュー以来、「御三家」の一人として昭和歌謡界を牽引し、数々のヒット曲を生み出した国民的歌手です。
その歩んだ道は、音楽活動の傍ら、俳優業や日本歌手協会での活動、晩年の闘病と歌手活動の引退・復帰を経て、2025年に亡くなるまで多岐にわたります。

主なキャリアの変遷は以下の通りです。
デビューと「御三家」時代: 1960年に「潮来笠」でデビューし、第1回日本レコード大賞新人賞を受賞。舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」として絶大な人気を博しました。

数々のヒットと受賞歴: 吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」や「霧氷」で日本レコード大賞を2度受賞するなど、500曲以上の楽曲を発表し、多様なジャンルを歌い分けました。

俳優・プロデューサーとしての活動: 歌手活動だけでなく、俳優やプロデューサーとしても活動の幅を広げました。

社会貢献活動: 日本歌手協会の副会長を務めるなど、歌手の権利や音楽文化の発展に尽力しました。

引退と復帰、そして闘病: 2023年に80歳で一度歌手活動を引退しましたが、翌年に撤回し復帰しました。
しかし、晩年はアルツハイマー型認知症を患いながらも芸能活動を続けました。

逝去: 2025年9月4日、肺炎のため82歳で亡くなりました。

橋幸夫さんは、昭和の歌謡界に大きな足跡を残し、その波乱に満ちた人生と音楽への情熱は多くの人々に記憶されています。

御三家

橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんの「御三家」が活躍した時代背景(主に1960年代)は、日本の社会、経済、文化が大きく変革する時期であり、彼らの人気はその時代の空気と深く結びついていました。

御三家が活躍した時代は、日本の物質的な豊かさと精神的な希望が交差する時期でした。彼らは、テレビという新しいメディアに乗って全国的な人気を獲得し、高度経済成長期の若者の夢や憧れを体現する存在として、歌謡界の黄金時代を築きました。
「御三家」という呼称: もともと江戸時代の徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)に倣ったマスコミ発の呼称ですが、このネーミングが三人のライバル関係と人気をさらに盛り上げる効果を生みました。
橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんの3人は、昭和歌謡界において「御三家」として一世を風靡した国民的スターです。
それぞれ異なる個性と魅力を持ち、1960年代の音楽シーンを牽引しました。
御三家の概要 共通点: 3人とも1960年代初頭にデビューし、絶大な人気を博しました。

橋幸夫
「御三家」の長兄的存在。
デビュー曲「潮来笠」をはじめとする股旅歌謡や、吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」など、幅広いジャンルで活躍しました。
舟木一夫
一時期は橋さんに対しライバル心をむき出しにしていたこともあったようです。 「高校三年生」「学園広場」「絶唱」など
西郷 輝彦
甘いマスクと情熱的な歌声が魅力で、ワイルドな魅力も併せ持っていました。
歌だけでなく、俳優としても『江戸を斬る』などの時代劇で活躍しました。2022年に亡くなっています。
歌だけでなく、映画やテレビドラマなどでも活躍し、青春時代の象徴となりました。
関係性: 当時はそれぞれ多忙を極め、年に数回しか顔を合わせないほどでしたが、長年にわたり良きライバルであり、盟友として互いを認め合っていました。
2000年には3人でのジョイントコンサート「G3K」ツアーも行われました。

1. 高度経済成長とテレビ時代の幕開け
経済の発展: 1960年代は、日本が戦後復興から高度経済成長へと突き進んでいた時期です。人々の生活が豊かになり始め、娯楽に対する需要が高まりました。
テレビの普及: この時期、テレビが急速に一般家庭に普及しました。御三家はテレビの歌番組や歌謡映画を通して全国にその姿と歌声を届け、老若男女問わずファンを獲得しました。映画産業と歌謡界が連携した「御三家歌謡映画」も量産され、人気を不動のものとしました。

2. 若者のエネルギーと「青春」の象徴
団塊世代の青春: 当時10代後半から20代前半だった彼らは、戦後のベビーブーム世代(団塊世代)の若者たちと年齢が近く、彼らにとって身近な「青春の象徴」となりました。
希望と夢: 戦後の混乱期を抜け出し、未来への希望に満ちていた若者たちは、御三家が歌う「夢」「希望」「恋」といったテーマの楽曲に共感しました。「いつでも夢を」や「高校三年生」といったヒット曲は、当時の若者の心情を代弁するものでした。

3. 歌謡曲の多様化とスターシステムの確立
多様なジャンル: 橋さんの股旅歌謡、舟木さんの学園ソング、西郷さんのリズム歌謡など、三者三様のジャンルが展開され、幅広い層のファンに対応しました。
スターの創出: 大手レコード会社(ビクター、日本コロムビア、クラウンなど)による強力なスターシステムが機能しており、彼らは計画的にスターとして売り出されました。