日本演歌界の実情と将来への展望

日本演歌界の実情と将来への展望

かつての大ヒット時代と比べると、現代の演歌歌手の懐事情や活動形態は大きく変化しています。

現在の演歌歌手(特に中堅・若手)の主な収入源は「地方巡業・営業(お祭りや企業イベント)」「ディナーショー」「固定ファンの組織化(ファンクラブビジネス)」、そして「ネット配信や異ジャンル連携」です。CD売上だけで生活できるのはほんの一握りですが、演歌界は他の音楽ジャンルとは異なる「独自の生存戦略」で収益を維持しています。

🎤 現代の演歌歌手の主な収入源

1. 実に厳しい彼らの現状

演歌歌手の最大の主戦場は、大都市のコンサートではなく地方の営業です。

1.地方自治体のお祭り・収穫祭
2.健康ランドや温泉施設での歌謡ショー
3.地元の有力企業・団体の記念パーティー
 これらは主催者から「出演料(ギャラ)」が支払われるため、
 チケットの売れ行きに左右されず、中堅歌手であっても確実な収入源になります。


2. ディナーショー・カラオケ大会のゲスト

単独コンサートの開催は赤字のリスクが高いですが、ホテル主催のディナーショーや、地方のカラオケ教室・発表会のゲスト出演は非常に手堅いビジネスです。
演歌ファンは高齢層が多く、客単価(数万円)が高いため、少ない動員数でも利益を出しやすい構造になっています。これが数少ない救いのひとつなのです。


3. 「CD手売り」と独自のファンクラブビジネス
現在の演歌界におけるCDは、音楽を聴くためというよりも「握手券・ツーショット撮影券」としての役割が強くなっています。

コンサートや営業の終演後に、歌手本人がロビーに立ってCDを手売りする
熱狂的な固定ファンが、お布施(応援)の意味を込めて同じCDを何十枚も購入する
また、ファンクラブの年会費や、ファンクラブ限定のバスツアーなどのイベントも重要な現金収入です。

🌏 アジア圏への販路拡大の実態

台湾や中国などへの海外進出を行う歌手もいます。特に台湾は、日本の演歌が「台語歌謡」として独自の文化に溶け込んでいるため親日層へのウケが良く、一定の成功を収めるケースはあります。しかし、これはごく一部の流行であり、全員が海外で食っているわけではありません。


🔮 これからの演歌界はどうなっていくのか?

「演歌暗黒時代」と言われる昨今ですが、演歌界はただ衰退しているわけではなく、二極化とパラダイムシフトが進んでいます。

伝統的な「ど演歌」の縮小と高齢化

昭和の情景を歌ったコテコテの演歌や、それを支える高齢ファン層、演歌専門のレコード店は確実に減少しています。このパイを奪い合う中堅歌手にとっては、今後さらに厳しい時代になることは間違いありません。

若手・イケメン・歌姫」による新潮流

一方で、近年は「演歌男子」と呼ばれるイケメン歌手グループや、実力派の若手女性歌手が活躍しています。彼らは以下のような新しい手法で生き残りを図っています。

1.SNSやYouTube、配信アプリ(17LIVEなど)の活用: ネット上でファンと直接交流し、デジタル投げ銭やグッズ販売で稼ぐ。
2.アニメソングやポップスとの融合: 圧倒的な歌唱力を武器に、アニソンをカバーしたり、ポップス歌手とコラボして若い層のファンを開拓する。

今後の演歌界は

今後の演歌界は、従来の「テレビや紅白に出てCDを売る」というビジネスモデルからは完全に脱却し、「歌唱力の高い実力派アーティストによる、超密着型のスモールビジネス(ファンコミュニティビジネス)」へと姿を変えて生き残っていくと考えられます。

ポルトガルのファド、フランスのシャンソン、アルゼンチンのタンゴなど同様「演歌=日本の民族音楽(ローカルな伝統音楽)」としての視点、そしてそれを守る国家的な文化保護政策に対する視点から日本の文化振興のあり方を考えてみたいと思います。
海外の多くの国々では、自国の固有の音楽文化を「文化遺産」として国家レベルで保護・育成するシステムが機能しています。これに対して日本がどうなのか、たとえば「紅白歌合戦」をはじめとするメディアの現状について、客観的な事実と構造を整理してみたいと思います。


🏛️ 海外と日本の「伝統音楽・民族音楽」に対する保護政策の違い

ご存じの方も多いかと思いますが、ヨーロッパや南米などでは、歴史的・民族的な音楽に対する手厚い保護政策や、国民のアイデンティティとして遺す仕組みが存在します。

ポルトガルのファド・アルゼンチンのタンゴ: 
いずれもユネスコ無形文化遺産に登録されており、国を挙げた観光資源・文化遺産として保存・伝承の予算が組まれています。

フランスのシャンソン:
フランスには「クオータ制(ラジオなどの放送で一定割合以上のフランス語の楽曲を流さなければならない法律)」があり、英語圏のポップスに自国の音楽文化が駆逐されないよう法的に保護しています。

🇯🇵 日本の現状:なぜ演歌は国に保護されないのか?

日本にも文化庁による伝統芸能(能、狂言、歌舞伎、文楽、あるいは民謡など)への補助金や保護政策は存在します。しかし、「演歌」は国家的な伝統芸能・民族音楽としては扱われていません

その理由は、演歌の歴史にあります。演歌は明治時代の「演説歌」に端を発し、戦後、レコード会社や芸能事務所という「民間企業が商業ベース(ビジネス)として発展させた大衆音楽(ポップス)」だからです。
国や行政の認識としては、演歌は民謡や地歌のような「古典芸能」ではなく、J-POPなどと同じ「商業音楽(エンターテインメント)」の一ジャンルに過ぎないため、公的な予算を投じてジャンルそのものを保護するという発想になりにくいのが現状です。

📺 メディアの変容と『紅白歌合戦』を巡る構造

「NHKや紅白歌合戦が日本文化を内在するものから変質してしまった」という実感を抱かれる方は、特に往年の演歌・歌謡曲時代を知る世代に非常に多く存在します。
半国営放送(公共放送)であるNHKが、なぜ演歌を縮小し、韓国のK-POPや若者向けのグローバルポップスを多用するようになったのか、そこには視聴率とビジネスの冷徹な構造があります。

1. 視聴者層の「若返り」と「タイアップ」の要求

かつての紅白は「家族三世代がテレビの前に集まって観る」ものでした。しかし現在、テレビ離れが進む若い世代をいかに配信(NHKプラス)やSNSに呼び込むかが、NHKの番組制作上の至上命題となっています。
その結果、世界的なシェアを持つK-POPグループや、ネット発の若手アーティストを大量に起用せざるを得なくなり、結果として「日本の伝統的な情景や情緒を伝える場」としての色彩が急速に失われることになりました。

2. 公共放送としての「国民的」の定義のズレ

NHK側としては「今、日本で本当に聴かれている(ストリーミングやSNSでバズっている)音楽を網羅することが、現代の国民的番組の役割である」という大義名分を持っています。
しかし、これによって割を食ったのが演歌界です。
かつては「紅白に出ることが一流演歌歌手の証明であり、それによって翌年の地方興行(営業)のギャラが跳ね上がる」というエコシステムが成立していましたが、その最大の発信舞台が実質的に機能しなくなってしまいました。


🌊 「暖簾に素手押し」のなかで、演歌界はどう動くべきか

まさに「暖簾に素手押し」的状況であり、国家的な後ろ盾(保護政策)もなく、最大のメディア露出の場であった紅白からも枠を削られた演歌界は、個々の歌手や事務所が自助努力でサバイバルするしかありません。

今後の演歌が「消滅」を免れ、次世代へ遺る環境を作るためには、以下のようなパラダイムシフトが必要だという議論が専門家の間でもなされています。

「大衆ポップス」から「クラシック・伝統芸能」への格上げ
演歌を単なる流行歌として消費するのではなく、日本の歌唱技術の粋を集めた「20世紀の古典音楽」として位置づけ直し、劇場の定期公演や、民謡と同じような保存組織を確立していくアプローチです。

草の根のファンコミュニティの維持
国が守ってくれない以上、演歌を愛する受け手側(リスナー)が、チケットを買い、CD(あるいはデジタルコンテンツ)を買い、直接的に支える「パトロン」的な役割をこれまで以上に担う必要があります。


余談ですが

みなさんは日本演歌界を代表する今や大御所と称しても過言ではない五木ひろしさんはご存じでしょう。では紅白連続出場50回の偉業を成し遂げられたあの方が現在、日本全国の主要都市から地方の市民会館に至るまで、精力的に全国を巡るアニバーサリーコンサートや特別公演を展開されていることは?ごぞんじだったでしょうか?

下世話な表現で恐縮しますが、J-POPやロックバンドのドーム・アリーナクラスの公演が1万円〜1万5千円を超えるケースが増えている現代において、2時間超の生バンド演奏を届けるソロコンサートとしては、破格の料金設定で五木さんは活動されています。

所属事務所、専属バンド、音響・照明、各地のプロモーター、舞台スタッフなど、多くの人々の雇用を考慮すれば、五木さんの利益など無きに等しいかとさえ思われます。

それにもかかわらず、彼が活動を続ける意味は、長年支えてくれたファン層(高齢化が進み、大都市まで遠出するのが難しい方々)のために、自らが近くの市民会館まで「会いに行く」という強いポリシーあるからであり、一方では演歌・歌謡界のトップランナーとして、「声が出る限り、ステージに立ち続けて歌を届けることが自身の使命であり生き甲斐でもあるという気高い矜持にも似た思いが有るからだと推察されます。

と同時に、それは廃れ行く演歌界に危機感を覚えていた五木さんが、この現状を何とかしなければならないという使命感に燃えた行動であったと思うのは飛躍した推測でしょうか。

歌手、五木ひろしが、いやひとりの人間が、八〇年前、2つの原子爆弾と国際法で禁じられていたジェノサイド、その悪魔的焼夷弾の投下で死者約40万〜50万人、負傷者(傷病者)約40万〜100万人の一般市民犠牲者を出しながらも、何一つ抗議の一言も発せずあらゆる不平等を受け入れ、黙々と万人一丸となって国家再建のため努力してきたこの国が、今や国家そのものを失うかという危機の最中にあって、この演歌の世界だけは死守せんと獅子奮迅の戦いへ自らを奮い立たせているように思えてなりません。曲解とそしりを受けるかも知れません。もちろん結構であります。
YouTube player

演歌は、日本の言葉の美しさや、特有の情緒(わびさび、義理人情、郷愁)を表現する唯一無二の音楽ジャンルであることは間違いありません。
時代の流れやメディアの変質によって表舞台からは見えにくくなっていますが、だからこそ「個別の必死の努力」がどのような形を結ぶのかが、今後の演歌の命運を握っています。
日本民族のこころの原風景へ誘う演歌、皆さん、演歌を大切にして参りましょう。

地方の演歌コミュニティで見られた現状について、その客観的な背景と、歪んだ構造が生まれていることに対し、一般論として意見を述べさせていただきます。

1. 「ムラ社会」的な閉鎖性と縄張り意識

地方のカラオケ教室や演歌サークルは、単なる趣味の集まりを超えて、強い家元制度や徒弟制度に似た「縦社会」を形成していることが多々あります。

絶対的な主従関係: 
指導者(先生)が絶対的な権力を持ち、生徒は「所属品」のように扱われることがあります。

縄張り(シマ)の概念:
他の教室のイベントに出ることは、自らの師匠に対する「裏切り」や、相手の勢力への「寝返り」とみなされる古い感覚が残っています。

感情的な制裁:
破門、無視、コミュニティ内での居場所の剥奪など、陰湿な村八分が行われるため、出演者は「お忍び」にならざるを得ません。


2. 生き残りをかけた「小さなパイ」の奪い合い

「ただでさえ廃れつつある」演歌・カラオケ人口の減少と高齢化は深刻です。市場が縮小しているからこそ、以下の悪循環が起きています。

過剰な囲い込み: 
少ない生徒(月謝や発表会の参加費を払ってくれる顧客)を他所に取られまいと、指導者側が過剰に束縛します。

不毛なしのぎ: 
広い世界に目を向けるのではなく、狭い地域内の「誰が一番影響力を持っているか」という小さなプライドや利権を守るために、不健全なルールが温存されます。


3. 「表現の自由」と「同調圧力」の矛盾

表現活動であるはずの歌が、コミュニティの人間関係を維持するための「道具」に変質してしまっています。

自縄自縛の構造: 
参加者自身もそのルールがおかしいと薄々気づきながらも、そこから排除される恐怖(歌う場所を失う恐怖)から、自ら不自由を受け入れてしまっています。

文化の自死:
新しい挑戦や交流を阻むこのような因習こそが、若者の参入を阻み、そのジャンル自体の寿命をさらに縮める原因になっています。

この時代錯誤な構造が、歌を愛する人々の純粋な情熱や、善意を公然と踏みにじっている事に対し疑問を感ぜずにはいられません。
文化を発展させるべきコミュニティが、むしろ文化を窒息させている歪んだ現実が有る現状を憂えます。

提案

このような最終的には自らの利益になるどころか、損失を与えている体質は主催者同士がその垣根を乗り越えて、演歌の未来を、そして夢を語り合う事から改善されていくものだと思います。

元はといえば、みなさん、誰もが演歌を愛し、涙し、鼓舞され励まされ歌い繋げて来られた方々ではないですか。人は触れ合えば、それまでのわだかまりなど吹き飛ぶものです。
お互いの垣根を乗り越えて、これからは互いを認め合い、協力し合い、グループ同士合同のコンサートを開いてみては如何でしょうか。

そして、将来的には一地域にとどまらず、県の地域同士、或いはまた他県との、更には全国各地方との演歌グループ同士の交流に発展すれば、紅白を凌ぐ大歌合戦が実現することだって可能なのです。
そうなれば、他国には湯水のごとく金をばら撒く日本政府も、演歌の存在意義価値を見直し、保護政策への法案実現に努力する事は充分考えられます。予算が支出されるという事です。

そしてこの予算支出に見合う国家的利益が生まれれば、これまで疎かにしてきた日本の芸術文化、職人芸等などへの政策見直しへも繋がるかもしれませんし、即効的効果が生まれるのは、まさに経済不況下でいの一番に庶民が削った「お稽古事や習い事の復活」だと思います。

なんとなれば、このお稽古事の世界にこそ、庶民の幸せ、生きがい、人生の糧につながる何物にも代えがたい世界が有ったはずだからです。そしてこの分野の隆盛が蘇れば、主催者や管理者の懐が相応に潤えば今日のグループ同士の問題など、何処ぞの風に乗って飛び去ってしまうでしょう。

言ってみれば、これらすべての問題は日本の急激な経済力の降下に起因していたこと間違いありません。
その実情を申し上げれば、今日、2023年の日本の1人当たり名目GDP(ドル換算)は3万3,849ドルとなり、OECD加盟38カ国中22位で、3万5,563ドルの韓国(21位)に初めて下回りました。
国全体のGDP総額では日本が上回るものの、急速な円安や長年の賃金停滞がドル建ての個人価値を引き下げました。「国民1人当たりの平均値(豊かさの目安の一つ)」において韓国を下回った形となります。

よろしいですか?
1965年の日韓国交正常化から2001年度(技術協力の終了)まで実施された日本からの経済支援およそ5億ドル、その他累積額7000億円の円借款、その他無償・技術協力300億円の経済支援を続けた、あの韓国に追い抜かれてしまったのです。
演歌が廃れたのは、実は韓国にすら追い抜かれ、深刻な日本の経済不況が原因のひとつだったと言っても過言ではないのです。

ですから、一言で演歌界の復活への道とは言いますが、その実現には日本の経済力向上を待たなければ成らない事も現実です。それなくしてこれらの諸問題が解決改善することはあり得ません。

しかしそうは言っても、まずは我々庶民レベルの問題を解決する努力、その互いの垣根を取り去る努力が無ければ、演歌界の復活劇は到底望むことは不可能です。地道な努力の積み重ね無くしてその実現が遠のいていく事は、予測される未来の現実であることも確かでしょう。

舟木さんの舞台その他のアーカイブ①

この作品は、舟木一夫さんご自身の生い立ちや半生をベースに描かれた、非常に珍しい自叙伝的な舞台演劇です。

公演の概要と特徴

  • 初演と再演1998年8月に東京の新橋演舞場で初演され、大盛況を収めました。その反響の大きさから、翌年1999年1月〜2月には京都の南座でも再演されています。
  • 豪華なスタッフ:脚本は高名な脚本家であるジェームス三木さんが手掛けました。単なるサクセスストーリーではなく、舟木さんが芸能界で経験した「寒い時代(低迷期)」の苦悩などもリアルかつ嫌味なく描き、名作と称えられています。
  • 舟木さんの1人2役:舟木さんは作中で2つの役を演じ分けました。前半(第1幕)ではご自身の父親である上田栄吉さんを演じ、後半(第2幕)では舟木一夫(本名・上田成幸)さん本人を演じるという、他に類を見ない構成が大きな話題を呼びました。
  • 共演者:母親の節さん役に波乃久理子さん、その他に大山克巳さんら実力派俳優が脇を固めました。

舟木さんご自身は、自分の半生を演じることに最初は強い抵抗があったそうです。しかし、ジェームス三木さんの見事な台本に納得し、公演前には故郷の愛知県一宮市にあるお父様のお墓前へ報告に赴いてから舞台に挑まれたという、ファンにとっても非常に思い入れの深い伝説的な名作舞台となっています。

舞台『おやじの背中』は、舟木一夫さんの生い立ちからスターへの階段、そして苦悩の時代までをリアルに描いた2部構成の物語です。

脚本のジェームス三木さんが、単なる成功談(サクセスストーリー)に終わらせず、人間・舟木一夫の葛藤を深く掘り下げたシナリオに仕上げました。作品のざっくりとした内容は以下の通りです。

舞台『おやじの背中』の構成と内容

  • 【第1幕】父・栄吉の背中(愛知・一宮編)
    • 主役(父親役):舟木一夫(父・上田栄吉 役を熱演)
    • 内容:のちに舟木一夫(本名:上田成幸)となる少年が、愛知県一宮市で過ごした子ども時代を描きます。父親の栄吉さんは不器用で破天荒、数々の事業に失敗しては家庭に苦労をかける人物でした。しかし、どこか憎めない人間味と、息子への不器用な愛を持っていました。第1幕では、激しい戦後を生き抜く「おやじの背中」と、そんな父親に反発しながらも、歌への情熱を燃やして上京を決意する成幸少年の姿が描かれます。
  • 【第2幕】歌手・舟木一夫の背中(芸能界・苦悩編)
    • 主役(本人役):舟木一夫(上田成幸/舟木一夫 役)
    • 内容:上京後、1963年に『高校三年生』で鮮烈なデビューを果たし、またたく間に昭和のトップスターへと駆け上がる姿から始まります。しかし、物語の核心はその後です。時代の移り変わりとともに訪れた、いわゆる「寒い時代(低迷期)」の15年間にわたる壮絶な苦悩と葛藤が包み隠さず描かれます。ヒット曲が出ない焦り、世間からの孤立、精神的なドン底を経験しながらも、最後はファンや仲間に支えられ、再び歌手として自分の足で立ち上がり「大人の歌手・舟木一夫」として復活を遂げるまでをドラマチックに描き出します。

自分自身の恥ずかしい部分や辛い過去までをも舞台に上げるという、舟木さんの役者・歌手としての覚悟が詰まった内容になっています。

作中で歌われた楽曲(オンステージ)

この特別公演は、2部構成の芝居のあとに、舟木一夫さんの真骨頂であるオンステージ(1998年時のタイトルは『あなたとの旅路』)が組み合わされていました。

劇中、および歌謡ショーでは、舟木さんの人生の節目に寄り添った以下の名曲・ヒット曲たちが物語と連動する形で披露され、客席の涙を誘いました。

  • 『高校三年生』
    • 象徴する場面:第2幕の歌手デビューシーン。彼の人生が一気に華やぐ瞬間を象徴する、言わずと知れた最大のデビューヒット曲です。
  • 『学園広場』『修学旅行』
    • 象徴する場面:スター街道を突き進む「青春歌謡の旗手」としての絶頂期。きらびやかな時代のステージが再現されました。
  • 『絶唱』『夕笛』
    • 象徴する場面:映画出演など多方面で活躍し、表現者として深みを増していくステップを彩りました。
  • 『湖愁』(松島アキラさんのカバー)
    • 象徴する場面:舟木さんが歌手を目指すきっかけとなり、オーディション等でも歌った原点の曲。少年期から上京へ向かうシーンに深く関わります。
  • 『ライフ・イズ・ボート』など後年の名曲
    • 象徴する場面:第2幕のクライマックス。壮絶な「寒い時代(低迷期)」を乗り越え、酸いも甘いも噛み分けた「大人の歌手・舟木一夫」として復活し、これからの人生をファンと共に歩んでいく決意を込めて歌い上げられました。

舞台裏・制作時の熱いエピソード

自身のプライベートやドン底の時代をすべてさらけ出す舞台だったからこそ、そこには多くの熱いドラマがありました。

  • 1. お父様の命日にお墓前へ誓った「成功の約束」
    • 自分の半生、そして風変わりで不器用だった父親を演じることに、当初の舟木さんは大きなためらいがありました。しかし腹をくくった舟木さんは、公演直前の7月10日(お父様・栄吉さんの命日)に故郷の愛知県一宮市へ帰郷。お父様のお墓前で「おやじの背中」の台本を抱え、舞台の成功を強く誓ってから本番へ挑んだのです。
  • 2. 故郷から100名以上の大応援団が来場
    • 東京での初演時、舞台のモデルとなった地元・一宮市から、なんと100人を超える地元の友人や関係者が新橋演舞場へ駆けつけました。公演中には舟木さんを囲んでの「ふるさとトーク」イベントも開催され、旧友たちの前で父親役と自分自身を演じる舟木さんは、照れくさそうにしながらも非常に感慨深げだったといいます。
  • 3. 魂の1人2役と「幻影」の演出
    • 前半でおやじ(栄吉)、後半で息子(成幸=舟木一夫)を演じるため、楽屋裏での早替わりは時間との戦いでした。特に観客を感動させたのは、第2幕の低迷期。もがき苦しむ舟木一夫の背後に、第1幕で自身が演じた「不器用だが力強く生きたおやじの背中(幻影)」が重なるような演出があり、ジェームス三木さんの見事な脚本と舟木さんの演技力が奇跡的な融合を見せました。
  • 4. 母を演じた波乃久理子さんとの絆
    • 舟木さんの育ての母である節(せつ)さんを演じたのは、名女優の波乃久理子さんでした。波乃さんの醸し出す雰囲気が、実際の節さんのおもかげに驚くほど似ていたそうで、舟木さんは舞台上で本当の母親に対峙しているようなリアルな感情が沸き起こり、毎公演、魂を激しく揺さぶられながら演じていたと語られています。

自身の傷跡すらも極上のエンターテインメントへと昇華させたこの公演は、ファンにとっても「舟木一夫の本当の強さと魅力」を再確認する伝説のステージとなりました

スマホの場合は、横にしてご覧ください。

★これまでの公開➡その人は昔 永訣 高校三年生
来月から予定
次男坊鴉 恋そめて風の花 30周年コンサート 35周年コンサート 40周年コンサート  赤い爪入りコンサート(順不同)

当ブログについて

この「舟木一夫と団塊世代の私的リンク集(https://vna-rio.com/wp_sk2/)」は、舟木一夫さんの熱心なファンや団塊世代のコミュニティの間で、一定の信頼と認知を得ている個人ブログです。
一般的なインフルエンサーのような爆発的な知名度(世間一般への浸透)とは異なりますが、特定の層においては以下の理由から存在感を持っていると思います。

1. 舟木一夫ファンの「ハブ」としての機能
このブログは、単なる日記ではなく、舟木一夫さんに関する膨大な情報(テレビ出演、コンサート、雑誌掲載、YouTube動画など)を集約した「リンク集」として運営されています。
公式情報から他のファンのブログまで網羅的にリンクが貼られているため、最新情報を追いたいファンにとってのポータルサイト(情報の入り口)として活用されています。

2. 団塊世代コミュニティでの定着
ブログ名に「団塊世代」とある通り、同世代のファン同士が交流する場としての側面があります。
コメント欄での交流や、過去の芸能界の思い出を共有する内容が多いため、同世代のインターネット利用者層の間でブックマークされているケースが多いです。

3. 継続性と更新頻度
個人運営のブログですが、長期間にわたって頻繁に更新が続けられている点が、検索エンジンやファンコミュニティ内での信頼性(「ここを見れば何かがわかる」という安心感)に繋がっていると自負しています。


まとめ:知名度の位置づけ
一般世間: ほぼ無名(特定の趣味に特化した個人サイトのため)。
舟木一夫ファン層: 「定番の巡回先」の一つとして、かなり高い知名度。

ネット上の評価: 2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の演歌・歌謡曲板や、他の舟木一夫関連ブログからも参照されることがあり、ファン活動を支える有力な非公式サイトという位置づけです。

昨今の国内事情に対応し、外国人の方も閲覧できるように、「サイトの言語を変換」できます。地球儀のマークをクリックしてください。



心穏やかに人生を振り返る…

北の道しるべ
作曲:杉本真人 作詞:たきのえいじ

夕焼けに 染まるはまなす
ひそやかな 色は紫
ぬくもりに背を向けて
今日も又 旅を続ける
星を枕に 星を枕に
北の道しるべ

忘れない 季節が過ぎても
今もなお 愛しくちびる
おもいでを ひもとけば
人知れず 涙こぼれる
明日を手さぐる 明日を手さぐる
北の道しるべ

足を留め ひとり飲み干す
とまり木に 背中丸めて
つかのまの 安らぎが
すり切れた 心うすめる
夢を枕に 夢を枕に
北の道しるべ


迫り来る人生の終焉にこの歌を

風のワルツ
作詞 秋元康 作曲 徳久広司

瞼まぶたを閉じれば 過ぎていく
花も流れた 時のせせらぎ
岸辺にひとり 佇たたずむ影
誰が歌うか 風のワルツ

昨日のことなら 忘れたが
遠い昔は 今も鮮あざやか
夕焼け空に 未練の雲
だれと歌おうか 風のワルツ

生まれて死んでいく その途中
人生なんて ただの幻
一番星が 輝くまで
ひとり歌おう 風のワルツ

多文化共生の果てに何が有るのか

https://drive.google.com/file/d/1pQp268_WHjoOUx_Dcw-lkU_72Td4UPkD/preview


多文化共生の名のもとに、日本民族を消そうという計画が進行しているのではないのか

私はこれまで「日本民族は消されようとしているのではないのか?」という強い危機感と同時に「なぜそこまでして日本を壊そうとするのか」という疑問をもっていました。

要するに、多文化共生という言葉が、本来の「共存」を超えて、日本の伝統、文化、あるいは日本人のアイデンティティを脅かしているのではないかという懸念は、現在私だけでなく、多くの人々が議論している非常に繊細かつ重要なテーマとなっているのではないかと。

この背景には、単一の「悪意ある計画」というよりは、「経済的要請」「国際的な潮流」「政治的な判断」といった複数の要因が複雑に絡み合っていると考えられます。なぜそのように見えるのか、いくつかの視点に整理してみます。

  1. 労働力不足と経済維持の焦燥
    日本が直面している最大の現実は、急激な少子高齢化と人口減少です。

    経済の維持: 労働人口が減ると、GDPが下がり、社会保障制度(年金・医療)が崩壊するリスクがあります。
    安易な解決策: 本来は「出生率の向上」や「生産性の改善」に全力を注ぐべきですが、これらは時間がかかります。即効性を求める政治や経済界が、安価な労働力として外国人を受け入れる方向に舵を切っている側面があります。

  2. グローバリズムという国際的潮流
    世界中の資本や人が自由に動くことで利益を得る「グローバリズム」の視点では、「国境」や「民族の独自性」はビジネスの壁とみなされることがあります。

    画一化: 世界を一つの市場と捉える考え方では、各国の文化的な差異を薄め、共通のルール(グローバルスタンダード)で動かす方が効率が良いとされます。
    国際機関の影響: 国連などが推進する「SDGs」や「多様性」の理念が、日本の実情を無視した形で導入され、結果として伝統的な価値観が後回しにされているという批判があります。

  3. 「寛容」を盾にした言論の偏り
    「多文化共生」や「差別反対」という言葉は、非常に強力な正義の旗印になります。

    批判の封殺: 日本独自の文化や治安を守るための正当な主張であっても、「差別だ」「排他的だ」というレッテルを貼られることを恐れ、政治家やメディアが踏み込んだ議論を避ける傾向があります。
    不均衡な配慮: 既存の国民の権利よりも、新しく来る人々の権利や便宜を優先しているように見える政策(公的支援のあり方など)が、逆差別的な感情を生んでいます。


    視点の整理:計画なのか、結果としての機能不全か
    「日本民族を消す計画」という見方については、以下の二つの解釈で議論が分かれることが多いです。

視点 捉え方

構造的な機能不全
目の前の経済維持や国際的な体裁を優先し続けた結果、長期的・文化的な損失(日本の形が失われること)を軽視してしまっている「無責任な政治」の結果。

意図的な変容
国家の枠組みを解体し、管理しやすい社会を作るために、意図的に人口動態や文化基盤を破壊しようとする勢力が動いているという考え方。

重要な視点
多くの人が危機感を抱いているのは、「日本という国をどう守り、どう定義し直すか」という国民的な合意形成がないまま、なし崩し的に現状が変えられている点にあるのかもしれません。

多文化共生は、お互いのルールを尊重し合うことで初めて成立するものですが、現在の日本の状況は、その「日本側のルールや文化」の根幹が揺らいでいるように見えることが、不安の正体ではないでしょうか。

この問題について、例えば「具体的にどの政策(入管法、地方自治、教育など)が最も懸念されるべきか」といった詳細について、さらに掘り下げてみたいと思います。

他国でも移民問題はありますが、日本が置かれている状況には、「日本特有の条件」がいくつか重なっています。なぜ日本が選ばれるのか、あるいはなぜ日本でこれが加速しやすいのか、その裏にあるとされる具体的な構造を掘り下げます。

  1. 「世界で最も成功した社会主義」と言われるほどの安定した資産
    日本は長年、高い民度、治安、そして膨大な個人金融資産(約2,000兆円超)を維持してきました。

    富の収奪: グローバルな資本勢力から見れば、強固な中間層が守っているこの資産は「手つかずの市場」です。

    これを切り崩し、外資が入り込みやすくするためには、「同質性の高い日本社会」を壊し、分断を作るのが最も効率的だという見方があります。

    公共インフラの民営化: 日本が世界に誇る水道、保険、交通などの公的な仕組みを解体し、外資が利益を得られる構造に変える過程で、国家意識の希薄化(多文化化)がセットで進められることがあります。

  2. 「自国を誇れない」教育と心理的土壌
    日本は戦後、歴史教育などを通じて「日本は悪いことをした」「ナショナリズムは悪である」という価値観を植え付けられてきました。

    抵抗勢力の弱体化: 欧米諸国では、伝統を守ろうとする右派勢力が強く抵抗しますが、日本では「伝統や日本を守ろう」と言うだけで「右翼」「差別主義者」とレッテルを貼りやすい空気が醸成されています。

    ガードの低さ: 自国を愛し、守るという本能的な防御機能が弱められているため、他国に比べて「多文化共生」という美名による侵食が進みやすいと考えられます。

  3. 法制度の「ザル」と政治家のコントロール
    日本はスパイ防止法が存在しないなど、諸外国に比べて「外部からの工作や浸透」に対する法的防御が極めて脆弱です。

    経済的依存: 政治家や企業が特定の隣国や国際団体からの経済的恩恵(またはハニートラップ等の弱み)を受けており、日本国民の利益よりもそれらの勢力の意向を優先せざるを得ない状況にあるという指摘が絶えません。

    法整備の遅れ: 外国資本による土地買収や、住民投票権の付与といった「主権を切り売りするような動き」が止まらないのは、政治の中枢がすでに機能不全に陥っているからだという見方です。

  4. アジアにおける「最後の砦」の解体
    日本はアジアで唯一、欧米の植民地にならず、独自の近代化を成し遂げた「独自の秩序を持つ国」です。

    モデルケースの破壊: 西側諸国や特定の国際勢力にとって、独自の文化と強い団結力を持つ「日本という例外」が存在し続けることは、グローバルな一極支配(あるいは特定の思想による統治)にとって都合が悪い場合があります。

    弱体化のメリット: 日本が「普通の多民族国家」になり、治安が悪化し、国力が衰退すれば、地政学的に利益を得る周辺諸国や、混乱に乗じて利益を得る勢力が確実に存在します。



まとめ:なぜ日本なのか

日本が狙われる(あるいは変質させられる)のは、「奪うべき価値(資産・技術・秩序)がまだ残っている」一方で、「それを守るための精神的・法的な防御力が極めて低い」からです。

現代の構図
これは「軍事的な侵略」ではなく、法改正、経済のルール変更、メディアを通じた世論操作、教育による意識改革といった、「目に見えにくい形での解体」が進行している、というのがこの懸念の本質です。

では「日本がなぜここまで対象とされるのか」という問いに対し、現在進行している具体的な法改正や事態、そしてそれらがどのように「日本解体」の懸念に結びついているのかを整理して解説します。

2026年現在の状況を含め、特に注目すべきは以下の4つのポイントです。

  1. 土地買収の「野放し」状態と安全保障の空白
    日本は先進国の中で珍しく、外国資本による土地買収に対して長らく無防備でした。

    現状: 北海道の水源地や自衛隊基地周辺の土地が外国資本(特に中国系資本)によって大規模に買収されている実態があります。

    懸念: 2026年には高政権による規制強化が本格化し、重要施設周辺の取引審査が厳格化される見込みですが、これまでの「自由化」のツケにより、すでに戦略的拠点が他国資本の手にあるという危機感があります。

  2. 「育成就労」と「永住権」のバーター(入管法改正)
    深刻な労働力不足を背景に、政府は外国
    人受け入れの仕組みを根本から変えようとしています。

    育成就労制度の創設: 2024年に成立した改正法により、これまでの「技能実習」に代わり、3年で特定技能へとステップアップし、実質的に「永住」への道を開く「育成就労制度」が動き出しています。

    懸念: これにより、短期の労働者ではなく「定住を前提とした移民」が大量に流入することになります。一方で、2027年4月からは「税金や社会保険料を意図的に滞納した外国人の永住権を取り消す」という罰則規定も施行予定ですが、流入のスピードに管理が追いつかないという指摘もあります。


  3. 自治体レベルでの「主権の浸食」
    国の法律だけでなく、地方自治体の条例を通じて「日本人の権利」が相対的に薄められる動きがあります。

    外国人参政権の代替: 憲法上、外国人の参政権は認められていませんが、武蔵野市などの事例に見られるように、条例で「住民投票権」を外国人に付与しようとする動きが繰り返されています。

    地方自治法改正: 2024年の改正では、大規模災害などの「非常時」に国が自治体へ指示を出せる権限が強化されましたが、これが逆に「地方の独自性や安全を守る動き」を国がグローバルな方針に従って抑え込むために使われるのではないか、という懸念(日弁連などが反対声明)も存在します。


  4. 経済・金融インフラの「外資開放」
    日本の公的資産やインフラが、多文化共生やグローバルスタンダードの名の下に開放されています。

    例: 2025年末以降、経営管理ビザの要件が厳格化された一方で、特定の「金融特区」などでは外資が参入しやすい環境整備が進んでいます。

    懸念: 日本人が真面目に積み上げてきた社会保障やインフラ、そして金融資産が、多文化共生という「壁を取り払う思想」によって、結果的に国際資本へと流出していく構造が指摘されています。


まとめ:なぜ日本が「選ばれている」のか

これらを総合すると、日本が対象とされる理由は、「利用価値が高い(富と秩序がある)のに、法律と国民のガードが極めて甘い」という点に集約されます。

他国であれば暴動が起きるような政策変更であっても、日本では「多文化共生」や「人手不足対策」という言葉で包めば、大きな抵抗なく進められてしまう。この「おとなしすぎる国民性」と「法制度の不備」が、ある種の勢力にとっての「格好のターゲット」になっているという見方がなされているのだと思います。

舟木さんの名誉を傷つけるな

先ごろ、Youtubeにおいて若手演歌歌手の山内惠介さんが2025年の紅白に選出されなかった事に対して舟木一夫さんが感想至意見を述べておられるという動画を拝見しました。

残念ながら舟木さんはこのような発言は致しません。
たとえ動画が言うように山内さんに共感を覚えていたとしてもです。
これは60年間のファンとしてその歩みを追い続け、その人なり、そして歌に対する独特の姿勢、それらを受け止め感じてきた者として断言できます
そうだわよ~
繰り返しますが、彼が何故、この種の発言を控えて来たか、それは彼自らのポリシーで有るというよりも、彼特有の幾分、斜に構えて世の流れを見つめる姿勢、そして自分は芸人の端くれだという自負、だからこそ、その分際を弁えなけりゃならねえという、「銭形平次」のテーマでもある、一種の男の意気地あるいは心意気のようなものから来るのだと思っています。

確かに当時絶頂の時期に有った頃、根拠の無い捏造記事を書きたてた出版社に若い舟木さんが直接出向いて抗議したという事は有りました。
この出来事は普段は穏やかなイメージの舟木さんが、自身の信念や名誉を守るために見せた勇気ある行動だったのですが、これを最期に彼はその生きる世界に対する発言や意見を述べることは少なくとも私の知る限りありません。

山内惠介さんはこの私も注目しておりますし、才能溢れる正統派の歌手の方だと思っています。
しかしそうだとしても、舟木さんが動画のような発言をしたと配信するのであれば、俄かに雲行きが怪しくなるのです。
つまりあきらかに事実でないものを恰も事実の如く標榜し、再生回数が爆揚るようなSNSに乗せるとなれば、これは舟木さん個人の尊厳を冒涜する行為以外の何物でも有りません。

ええ。あっしもそう思いやす。
確かに山内さんファンは快いかも知れないし、舟木さんファンの中にも賛同している方もおられます。
しかしデマはデマです。
これを信じ、喜び、これが拡散されるということに問題が有る訳で(すでに拡散しているでしょう、コメントの中には泣く程感動したという方もおられます)こうなると舟木さんの歌手人生の一つの出来事として、かのウィキペディアに書かれる人もいるかもしれません。
ウィキペディアというのは誰もが自由に書き足していけるサイトですが、同時にそこに掲載されるデータは全世界の物書きや研究者にに利用されているサイトでもあります。
したがって著名人への不確かな情報は、確実に当事者の人生さえ狂わしかねない危険性をはらんでいるのです。
そしてこれ以外にもあらゆるメディア媒体にしっかりとその痕跡を残しかねないとなれば、情報を発信する側は発信する情報に対して確信がなければ配信してはならないのです。

うそ、いってませんて。わん
この事を更に納得していただく為に、舟木さんが国家から受章あるいは受賞した経歴をご紹介します。
これらは、長年にわたる歌手・俳優としての活動と、日本の芸能界への多大な貢献が認められた公式な受賞です。

舟木さんは、国からの栄典として紫綬褒章と旭日小綬章を受章しています。
紫綬褒章: 2002年(平成14年)に受章しました。芸術文化の分野における功績が評価されたものです。
旭日小綬章: 2018年(平成30年)秋の叙勲で受章しました。芸能分野での長年の功績が高く評価されたものです。

たしかに 朕は 与えたぞ
ここで皆さんにお尋ねしたいと思います。
有る問題にたいする発言において、社会的地位も名誉も有る方と失礼ながら市井に生きるごくごく普通な一般人の、どちらの発言に貴方は耳を傾けようとなさいますか?
わたしは、地位も名誉もなんら価値あるものと思っていない。むしろ市井に住む無名の方の素朴で生の意見に耳を傾ける。
そういう方もおられます。しかしこれは100人いてもほんの数人、ほとんどは名誉も地位も有る方の方に関心を寄せるのではないでしょうか?
つまりこれが現実です。
ましてや、国家から表彰、受章、それも2つもされている方です。
ご自身の発言の影響力がどういうもので有るかという事をご存じないわけがありません。
常識だよ~ 知らないと非常識だよ~
たとえばです。有りえないことですが、陛下がもし仮にです。余はあの歌手を好きである。スマホにも入れて毎日楽しんでおる。皇后も最近云々。などとご発言されて御覧なさい。

もうその歌手は連日連夜、取材攻勢に遭い、仕事どころか、睡眠すらままならない日が連日続き、営業成績はガタ落ち、一年も続けば遂にはホームレスとなり彷徨う事にもなりかねません。
大御所なら蓄えも有るでしょうが、若い歌手なら起こりかねません。
実際、都内のあるスナックの厨房でかつてヒットを飛ばした歌手が皿洗いをしていたという情報は、吐いて捨てるほど有るのです。
これ ネコ式 皿洗い
このように立場も名誉も有る方の発言の影響力は対象の方の人生をも左右しかねない重大な行為なのです。
この観点からも、知識も常識もすべて弁えた舟木一夫氏が、山内惠介くんに対する個人的な評価等の発言をするなど、その負の恐ろしさを知り尽くしている舟木さんがすることなど天地がひっくり返っても有りえない事です。
有りえません!!
(腹 減ってたんだ 石破く~ん)
あの~ 見たくないんですけど。これ 削除おねがい します~】
話を元にもどしますが、舟木さんは、今や単に個人という枠を超えた存在であり、偉大なる日本の歌手としてその尊厳を守られねならない立場で有ります。
したがって根拠の無いデマ情報が拡散された場合、彼に続く人々を守る意味においても、法的措置を取らなければならないと固く信じます。
たとえ先の動画のアカウント主がこの動画を削除しても、流したという事実に対する責任は問わなければなりません。
遅きに失したとして舟木さんに謝罪をしても取返しのつかない事をした事実には、しっかりと責任をとって頂かなければなりません。

この辺で彼の歌に戻りたいと思いますが、彼は自分の歌は「流行歌」ですと云い、「演歌」とは何となく云って欲しくないという事のようです。
どうやら彼の言う「流行歌」とはこれはあくまでもわたしのイメージですが、戦前戦後から庶民に歌われてきた童謡ともつかない「大人の愛唱歌」ともいうべきもので有って、男女の別れ、涙、愚痴、恋しさ、恨み、生き様、人情、悲しみ等々の、つまりは特定の場面、情景が有って感動を呼び覚ますような「演歌あるいは艶歌」とは違いますよとおっしゃりたいのでは?と思います。

つまり彼は、いつの時代でも、同じ世代に生きた人々に対し、共通な感動を呼び覚ます歌、そういう歌、つまりは「流行歌」ですね。
これを叶う事なら歌ってきたかったし歌ってきたのだと、半ば自負を込めておっしゃられたと思うのです。
それは図らずも、歌手として再活動を始めた頃に、奇しくも彼自ら発言した言葉からも伺えます。
「これからは「同じ世代に向かってだけ歌っていきたい」
これが、あの口の堅い舟木さんが、初めて自身の歌に対する姿勢を吐露した、ご発言でした。


この事は、かの徳光アナウンサーとの談話インタビュー、あるいは「徹子の部屋」において度々発言されており、同世代のファンはこの時、喜びで歓声を揚げたのであります。

これら動画は、小生のDVDにも残っており、昨夜もこのページを書く前に確認をしました。この発言はファンならば知らぬ者はおらず、「これ知らずして舟木を語る勿れ」がファン常識なのであります。
こら 俺は「流行歌」なんだヨ~~~ わかってる?
🎵折も折、時代の変化は急速に進み(進んだのか後退したのかはさて置き)お隣の、今も猛威を振るう、Kポップとか何とかのインフルエンザ軽薄歌が国策の元、この国において猛威を振るい、演歌歌手にとっての主要歌番組は激減、かの公共放送の年末・国民的番組「紅白歌合戦」もニンニク臭い彼等彼女等に半乗っ取られ状態。
更に誰もが可笑しいと、その出演が噂される歌手あるいは全くヒット曲の無かった歌手が名を連ねる事が常態化した時、ある所属する会社のアルバイト女性がN何とかの上層役員とハニトラした結果、出演が可能になったと噂が流れ、それが長い間続いていたという大問題を、さすがのオールドメディも隠し切れずSNSで晒しものになる始末。

そして追い打ちを賭けるように、今回SNSで白日の下に晒された驚くべき事実。かの出場が決まった韓国女性グループの原爆帽子騒動。このグループの出場を差し止めんとする国民の怒りの声や10万人署名もN●Kの幹部・上層部は握りつぶそうとしております。もう芸能界そのものが腐敗堕落の極みとしか言いようのない有様です。

おわりました
ですから舟木さんのご発言が、すでにこのような時代と芸能界、歌謡界の行きつく様を見越してのものだったとすれば、やはりこの方は「ただものではなかった」「いろいろな人生の苦難を乗り越えられ、お造りになっている曲の歌詞などからも推し量って、未だ輝いているその訳は歌手という枠を乗り越えて、「高い能力を併せ持つ知識人でも有った」と、ファンは益々の尊敬を深めたので有ります。
舟木さんという方はどの世界でも一流になられた方、企業を起こせば日本有数の会社の代表取締役、まったく異質の学究の徒となられても、おそらくは日本文化、あるいは教育史に名を連ねた方だったと思います。
非常に高い知性を持ち、深い洞察力と高い見識は、コンサートでのお話からも十分伺えます。
本当に素晴らしい方、もっともっと長生きをして、今後は出来れば執筆をされて行かれたら、ファンとしてこれ以上の幸せはありません。

率直に申し上げて、舟木さんは詰まるところ、自分たちの党の延命の為、彼等がどこぞの国々への売国政策を急速化させる現状、そして歌謡界の惨状を見て、もうこの流れには抗えないという歌そのものへの危機を感じ取り、私達の為にこれだけは残していきたい、その中に流れる日本人の素朴な心のようなもの、それを伝え残す為に歌い続ける、そしてそれを受け止めてくれるのは同じ世代の人々であるからこそ、彼等に向かって歌っていこうと思い決心された。

このご発言「同世代に向かって]の言葉の裏には、そのような日本の憂うべき現状への静かなる批判、否、激情にも似た批判が実は込められていたのかもしれない、そしてだからこそ、せめて同世代に対してだけは、この歌を歌い続けることによって、人生を共感して参りたい、その姿勢だけは譲れないという思いと気概がが込められていたのだと思います。

え、カッコ しおって
我々団塊世代は大集団の世代です。
確かに人口グラフを見ると各年代において我々世代だけ異常に膨れ上がっています。
これが国家の予算を食いつぶす元凶かのごとく喧伝され、余計者、年金泥棒、厄介もの、いいもの食ってる、貧しい若者を更に貧しくする元凶などと、ののしられ、それこそあらゆる批判を受け後ろめたさを感じさせられながら生きてきました。

当時、わたしは思いました。私たちは欧州において、その国の経済を立て直す為に移民し働き抜いた彼等が今度は国の経済を悪化させる存在になったから帰国を半強制されている、我々団塊世代も鈍行に揺られ上京あるいは各地に分散し、懸命に働き抜いてやっと今が有るというのに、今や国家にとって厄介者的な大集団。
所詮、団塊世代とは日本国にとっての移民以下の存在、つまりは外国人なんではないのかとさえ思った事すらありました。
これらの喧伝はデマであり、オールドメディアの画策であることはわかっていても、連日そのような記事や報道に晒されて最悪の日常だったことは忘れることはできません。

しかしそのような時に、私には舟木さんがいたのです。 ある日、一本のカセットを再生させたとき、それは訪れました。 忘れていたあの日、あの頃が瞬時に、まさに次から次へと蘇ってきました。
父に反抗した申し訳ない日々も懐かしかったです。

そして思いました。自分には忘れ欠けていた膨大な自分史のようなものが有るじゃないか。だから自信を持つべきなんだ。誰に批判されたっていい。俺はこれだけの半生を積み重ねてきたじゃないかって。そう思いました。何よりも、舟木一夫さまがご体現されてきたではないか!

自分が自分を感じ、自分として生きてきた大いなる自信のようなものを感じて生きる。
これは何人も脅かす事ができない自分自身の「聖域」。
親兄弟、肉親、友人、その人々でさえ踏み込むことが出来ない聖域。
そしてこの聖域への扉を開いてくれたのが、舟木一夫という人でした。

舟木一夫が歌い続ける限り、いや例え、彼をいつの日か神が召そうとも、私は人生の最期まで、心の幸せに恵まれて生きてこれました!
その彼、舟木一夫に感謝の念を捧げたかったのです。長々とお読みいただきありがとうございました。🎵

舟木さんに文化功労者を!

舟木一夫さんが国家から受賞されたものとして以下がございます。

1.紫綬褒章 1998年
2.旭日小綬章 2008年
3.日本レコード大賞功労賞 2008年

納得!まったくいいと思う!!

しかし意外なことに!国民栄誉賞も含めて、これらの章・賞にはかの特別年金が支給されないというのに

唯一、かの「文化功労者」にだけは、年間350万の終身年金(非課税→350万まるごと戴ける)が与えらている事はご存知でしょうか?。

どうして「文化功労者」だけは例外なんでしょうか?😘
おかしいと思いません?。
と思うのは、わたしだけ?
いや、そう疑問を持たれるのはごく自然なんですが、これには理由がございます。
訳をきいてみよっか。
叙勲(栄典の授与)に関する規定は、日本国憲法第7条第7号および第14条第3項に定められています。

なぜ文化功労者だけに350万の年金が支給されるのか?

文化功労者制度は、憲法とは別の「文化功労者年金法」という法律に基づいて設立され、その年金支給(年額350万円)は、単なる賞金ではなく、長年の功績に対する生活支援としての側面が強いという訳。 特に文化・芸術分野では、必ずしも経済的に恵まれているとは限らない功労者も多いため、国が一定の経済的保障を行うことで、その後の生活や研究・創作活動を支える意図があります。
この方々は長年コツコツと計り知れない努力をされてきたと思います。
また、文化勲章を受章する者は、原則として前年度までに文化功労者に選ばれているため、結果的にほとんどの受章者が350万の終生年金を受け取ることになります。

繰り返しますが、勲章には特権を伴わせないという憲法の大原則で有る為、金銭贈与は無いのに対し、文化功労者の場合は憲法とは別の「文化功労者年金法」という法律に基づいて設立され、経済的支援は別の法律で可能であるという解釈に基づいている為、350万支給となっている訳であります。

つまり、叙勲が「功績に対する名誉の象徴」であるのに対し、文化功労者制度は「功績者への具体的な経済的支援策」という異なる制度設計に基づいているわけです。納得されたかな?

はい、納得しましけど、おやつは?
ところで大歌手舟木一夫様に対してお金の話をするのか?と思われる方も有るかと思いますが。いやいや老後はお金が大事なのはどなたも異論がない事かと。
大スター舟木さんといえど例外では有りません。

そうだと思います。順調漫歩に余生を送れるとは限りませんので…..


I really think so.

事実、 成功を収めた大物芸能人が、晩年に経済的な困窮や孤独、健康問題などに見舞われケースは存在します。 

もちろん、舟木さんの場合、蓄えは相当おありでしょうが、
それとは別に、月に自由に使える30万が有れば、
歌を辞められた後、お好きなパチンコするとか
或いはコンサートを開かれた地を奥様とご一緒に尋ねられてもいいでしょう…
え~と。ここは確か、宮島?だったっけ?
お孫さんへのお小遣いにもあてがえます。これ、必ず発生致します。
私も年金は実に有難いものだと常日頃思うものであります。
そうなんだぜ。期待してるんだよな。
納得だよ~ 孫は可愛いんだよ。
ところで、君は舟木さんから了解を得てこういう発言をしとるのかね?
そう突っ込まれると、なんも言えないんですけど…….
あちらのご了解を得て発言しとるのかね?!
いや、あの、得ておりませんですデス。
しぃかぁし~!!総理同様、撤回するつもりは全く!ございません。


a~nn ? 簡単には譲らんぞ~
君の英姿をここから見守っていますよ。
独断と偏見を承知で少々乱暴ですが、舟木さんには是非「文化功労者」の受章を願うものであります。!



ご異論が有る方はどうぞご退場ください。(マジだヨ~ん)
え!ご同意頂ける!!!




ありがとうございます。これが舟木ファンの「想い」なのであります。

アイコン ちなみに、芸能関係者で文化功労者は下記の方々がおられます

中村芝翫  (2006年度)
大滝秀治  (2011年度)
仲代達矢  (2015年度)
杉良太郎  (2016年度)
西川きよし (2020年度)
加山雄三  (2021年度)
唐十郎   (2021年度)
加山雄三  (2021年度)
桂米朝   (2002年度)
松任谷由実 (2022年度)
松本白鸚  (2022年度)
北大路欣也 (2023年度)
草笛光子  (2024年度)
藤村実穂子 (2024年度)
小野花子  (2024年度)
片岡仁左衛門(2025年度)
野沢雅子  (2025年度)
野田秀樹  (2025年度)
竹宮惠子  (2025年度)
田中泯   (2025年度)
野田秀樹  (2025年度)
柳家さん喬 (2025年度)

ここに舟木さんが名を連ねて、何か問題がございますでしょうか?


問題の有る筈がございません!!!!
むしろ、遅きに失して、それが問題でございます!!

舟木さん~!!頑張ってください~!!!いつまでも応援してます!!

舟木さんに関する書籍

怪傑!!高校三年生(1992年・近代映画社)

  • 舟木一夫ファンの伯母へのプレゼントのため購入。外側は古さはあったが中はきれいで、伯母はとても喜んでいた。
  • 舟木一夫さんという芸能人の当時(30年前)の経験や思いが正直に語られていて一気に読んでしまいました。貴重な本です。手に入って良かった。

風来坊(1999年・マガジンハウス)

  • 舟木一夫さんが大好きでAmazonからDVDや本などを手軽に購入できるので助かってます
  • キレイな状態にコレクションに大切にいたします。発送ありがとうございました。

いつかの日のために―舟木一夫の歩く道

  • その時、人々に彼の心が届いた。「ついて来な!」―と。そして、彼は駆け出した。一ファンとして舟木一夫を見つめ続け、追い続けた著者『萩尾農』。本業の歴史小説執筆の傍ら、万感の想いを込めて人間『舟木一夫』を書き始めた。




虹を紡ぐ―舟木一夫 風、好きに吹け

  • とても楽しく拝読しました
  • 詩人の方からみた 舟木さんは どのように感じられたのか とても興味をもち 購入しました。やはり 舟木さんの歌の しを大切にする気持ちを良く理解されていました。





瑠璃のゆくえ―舟木一夫の雨情・夢二・八十世界によせて

  • 対応が丁寧で迅速でした。本も素敵な内容で満足でした。また、利用したいと思います。興味のある本に出会えた事に感謝です
  • 楽しく拝読しました
  • 長い間欲しかったのが手に入りました。予定より早く届きました。




ありがとうあなた―舟木一夫の歩く道


  • 違った作者の書いたものなので興味深く読みました。ほんとうに有難うです。
  • 出版から年数が経ち中々手に入らない書籍に保存が優れてキレイで感謝です。この度発送には大変お世話になりました。

絶唱 (講談社文庫)

  • 子供の時には考えきれなかった深い世の中を書いていてそういえば自分の身の回りにもそのようなことが無きにしも非ず。手元にのこしたい本ですが、電子書籍としてしかてにはいりませんでした。今どきの事情に年寄りは慣れるしかありません。

舟木一夫 風まかせ (日本の名歌手シリーズ)

  • 「高校三年生」のヒット・デビューから35年、演劇に新境地をひらいたスターの今日を、密着取材で収録した。
酔ってSinger(1983年・青山書房)

  • 知らないこともたくさんあり、読んでいると気持ちが安らぎ癒されます。